「『出口』論争-教室からの発言」
「『出口』論争」とは、斎藤喜博氏(※1)の「『出口』の授業」(※2)に関する教育論争である。
斎藤氏の「『出口』の授業」は、多くの研究者からすぐれた「ゆさぶり」の事例として絶賛されていた。「ゆさぶり」とは、子どもの解釈や考えに疑問を投げかけ、意図的に混乱を起こして、より深い理解に導く指導方法のひとつである。
1977年、『現代教育科学』(明治図書)誌上で「ゆさぶり」論を批判する研究者と斎藤氏を擁護する研究者との論争が巻き起こった。
向山は自身のデビュー作を『斎藤喜博を追って』(昌平社/1979)とするほど、実践家としての斎藤氏を尊敬していた。だが、擁護派の研究者の反論に強い憤りを感じた向山は、斎藤氏の「『出口』の授業」の記録を子どもたちに「分析批評」の授業の手法を使って検討させ、その事実を根拠として論争に参加した。
『現代教育科学』1980年2月号に掲載された投稿論文「『出口』論争-教室からの発言」の中で、向山は次のような主張をした。
1 授業記録には重要な発問の一部が修正されている。
2 表現が明示性の低いものとなっている。
向山の論理と子どもたちの作文のレベルの高さに驚いた同誌の編集長は、本当に子どもが書いたものかが信用できず、「子どもたちの作文の原本を送ってほしい」と向山に依頼。当時、子どもたちの作文に教師が手を加えることがあったからである。
向山は、すぐに全員分の原本をそのまま送り、編集者を驚かせた。この時の向山の授業は録音されており、すべてが真実であることが証明されている。
(※1)
斎藤喜博(1911-1981)は群馬県の元小中学校教師。校長として、11年間にわたり子どもの表現力を育む実践を展開。「島小教育」として知られている。民間教育研究運動にも積極的に取り組み、教育科学研究会教授学部会や教授学研究の会の設立に携わった。
明治以降、多くの教師がすぐれた仕事を残してきたが、向山の心を捉えたのは斎藤氏の仕事であった。向山もまた、斎藤氏のような仕事を創っていこうと考えた。向山は、氏に会うことはなかったものの、晩年の斎藤氏と何通か手紙のやりとりをしている。
(※2)
「『出口』の授業」とは、著名な実践家で、その当時校長であった斎藤喜博氏が、担任に代わって授業に介入した国語の授業のことである。
「森の『出口』」について、「森とそうではない部分の境界のこと」と解釈していた3年生の子どもたちに対し、「そんなところは出口ではない」と言って、授業に介入。
この「『出口』の授業」は、斎藤氏の著書で何度も取り上げられ、当時、多くの研究者からすぐれた「ゆさぶり」の事例として絶賛されていた。