教室に現れた子どもの欠点は、何よりも教師としての自分自身の力量の不足による
ほんの少しの変化、ほんのちょっぴりできたこと、このようなことをとらえずして、可能性を引き出すことは困難だ
いかなるプロにも、これでよいという絶頂点はない
いかなるすぐれた教師の実践も欠点を持つ。
自分の欠点を自覚できること、これがプロの条件である。
自分の欠点を自覚できず、心ひそかに自分は大したものだと思うこと、
それはアマの証明だ。
個性は、基本をマスターした後に身につける
「それぞれの子どもに応じて、できるようにさせる」のであり、「できない子への優しさ」の上に、できるようにさせるのである
全国区の教師になりたいのなら、20代で100回の研究授業は必要だろう
20代で10回や20回では、セミプロの道をずっと歩くことになる。
できない子をできるようにさせる教師は、研究、勉強を続けている人である。最先端の研究を取り入れている人である。
我流の教師では、できない子をできるようにさせることはできない。
努力の方向が違うと、目的地には着かない。 方向が違っていなければ、時間や手間はかかっても目的地にはたどり着くことができる。
教育は、結果が出るまでに時間がかかることも多い。
でも、方向が間違っていなければ、たどり着くことができる。
自分の全てを尽くした教育より高い教育は、自分の何かを否定しなければ、新たな内容を自己に築かなければできはしない
教育とは、創造し、否定し、創造する営みの連続である。
子どもの力量は、指導者の力量に規定される
教師自身が学び、力量を上げることが、子どもに学力をつける。