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向山洋一の仕事

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教育論争

向山の教育論争は日本の教育に大きな影響を与えた(教育技術の法則化講演会 1987)

「思想ではなく、子どもの事実で証明せよ」

向山の携わった数々の教育論争は、日本の教育文化の転換点となった。以下は、その代表的なものである。

  1. 「教育技術の法則化運動」-すぐれた教育技術を集め、広める
  2. 「『出口』論争-教室からの発言」-教室の事実が巻き起こした衝撃
  3. 「跳び箱論争」-跳ばせる技術はなぜ教師の常識にならなかったのか
  4. 「批評の文学教育」の出現-文学の授業は感動重視でよいか
  5. 「自由で平等な場からの出発」-誰でもリーダーになれる
『出口』論争に参戦するきっかけとなった児童作文(1979)
『出口』論争に参戦するきっかけとなった児童作文(1979)

向山は、十代の半ばから学生運動のリーダーとして、数々の論争の中に身を置いてきた。
論争では必ずスローガンが掲げられ、多くの人がそれを口にするが、言葉に酔いしれるだけで何も改革は進まなかった。飾られた言葉だけでは、人は動かず、改革も進まない。向山は、実のある言葉と行動を軸にするようになった。
青春のすべてをつぎ込んだ学生運動は、挫折に終わった。しかし、向山は「スローガンで物事を見ない」という信念を得た。
そして、「子どもの事実」「教師自身の腹の底からの実感」を評価基準として、新卒時代から教室の実践を積み重ねた。

向山式跳び箱指導法で数分間指導すると跳べない子どもたちが跳べるようになる(1981)
向山式跳び箱指導法で数分間指導すると跳べない子どもたちが跳べるようになる(1981)

向山は、「どんなにすぐれた教育手法も、やがては古くなる」「次の時代に伝えられるものを残し、また、新しい時代にこたえるものをつくっていかなければならない」と考えた。向山にとって、教育論争は、「新しい時代にふさわしい教育を創り上げ、次の世代に託すために不可欠」であった。

向山は、「教科書を使わない算数授業」「100マス計算」などへの批判も行っている。教室の子どもの事実に基づいたさまざまな問題提起は、その後の日本の教育研究に大きな影響を与えた。