向山の携わった数々の教育論争は、日本の教育文化の転換点となった。以下は、その代表的なものである。
向山は、十代の半ばから学生運動のリーダーとして、数々の論争の中に身を置いてきた。
論争では必ずスローガンが掲げられ、多くの人がそれを口にするが、言葉に酔いしれるだけで何も改革は進まなかった。飾られた言葉だけでは、人は動かず、改革も進まない。向山は、実のある言葉と行動を軸にするようになった。
青春のすべてをつぎ込んだ学生運動は、挫折に終わった。しかし、向山は「スローガンで物事を見ない」という信念を得た。
そして、「子どもの事実」「教師自身の腹の底からの実感」を評価基準として、新卒時代から教室の実践を積み重ねた。
向山は、「どんなにすぐれた教育手法も、やがては古くなる」「次の時代に伝えられるものを残し、また、新しい時代にこたえるものをつくっていかなければならない」と考えた。向山にとって、教育論争は、「新しい時代にふさわしい教育を創り上げ、次の世代に託すために不可欠」であった。
向山は、「教科書を使わない算数授業」や「100マス計算」などへの批判も行っている。教室の子どもの事実に基づいたさまざまな問題提起は、その後の日本の教育研究に大きな影響を与えた。